(続)中島らもを読む

 先日久しぶりに、YさんSさんと一緒に食事をした。わたしはYさんが近大を移られてから後に一緒に食事をしたことがあるが、Sさんは初めてとのことであった。Sさんの話では、研究会でYさんが司会をすることになっていたのに来られなかったので心配しているのです、とのことだった。以前Yさんからメールをもらったときも、七つか八つの論文を読んでいざ論文を書こうとすると最初に読んだ論文はすっかり忘れてしまい論文が書けなくなった、と嘆いておられた。わたしは他人の論文は読まなくなったので、七つも八つも論文を読むというのが信じられないが、それだけ読めば忘れるのは当然である。しかし、研究会の司会をすっぽかすとは、Yさんもいよいよ老人力が付いたかと、期待、いや心配していたら、Yさんはちゃんと連絡したのに事務局の連絡ミスだったとのことだった。Yさんは昔通りわたしよりも遙かにしっかりしておられた。

 わたしの前回の駄文について、K大のKさんから、「空気の動きを感知するとは、さすがに先生の奥様、神業の領域に入っていらっしゃいますね。我が家人がそういう能力を磨かないことを願うばかりです。」とのメールをいただいた。しかし、我がロースクールの事務の女性陣によると、そんなの雰囲気で当然分かりますよ、とのことだった。Kさん、女性を侮ってはいけませんよ。この話に対する、会食当日のYさんのコメントは、何かしただろう、といわれたら、こうしようとしたのだと、後ろから抱きつけばよかったのですよ、とのことだった。Yさんは、てっきり冗談で言っておられるのかと思ったが、きわめて真面目な顔だった。いやー、世の中は本当に広い。しかし、Yさんのアドバイスの通りのことをしたら、首を絞めようとしていたのかと勘違いされ、どんな目に遭わされるか分かったものではない。

 Mさんからは、らも咄の続編を楽しみにしています、とのメールをいただいた。確かに、中島らも「変!!」を読む、との表題を掲げながら、一話しか紹介しないのでは羊頭狗肉といわれても反論できない。実は二話紹介しようかと思っていたのだが、それをすると上品な女性の読者を失う恐れがあると考えてもう一つの紹介は思いとどまったのである。しかし、Mさんのたっての願いもだしがたく紹介することにした。それは、「叱られて」という箇所である。らも氏は、朝日新聞の「明るい悩み相談室」という欄を担当しておられた。この悩み相談は、最初は朝日新聞大阪本社版の日曜「若い広場」欄に掲載されていたが、その後全国版にも掲載されることになった、ということである。今でも、「中島らもの明るい悩み相談室」朝日文芸文庫(全7巻)で読むことができる。「叱られて」は、「明るい悩み相談室」に対する読者の抗議の投書に関するものである。明るい悩み相談室は、基本的には、読者の明るくふざけた悩み相談に対してらも氏がやはり明るくふざけてアドバイスするという、きわめて関西的なノリの欄である。ところが、ときには悪ふざけが過ぎ読者から抗議の投書がくることも少なくなかったようである。「叱られて」も、読者よりと裏書きされた封書に関するものである。それは、次のような内容であった。「惑いて数ヶ月。やはり言っておかなければならん、と筆を執りました。らも氏の目に触れずとも、学芸係の方に読んでいただければ良い。大朝日の記者魂を今一度思い起こして欲しい。『社会の木鐸』『社会の公器』『社会の規範』ではありませんか。人倫地に堕ちたり。否、霧消したと申すべきか。」これは、何ヶ月か前に掲載された相談へのらも氏の回答に怒っているのである。その相談というのは、三十代のお母さんからのもので、小学校五年生の娘にむかって父親が、「な、二百円やるからおっぱいさわらせて」と言うと、娘が、「いや。五百円でないといや!」「そりゃ高い。三百円!」「もうひと声!」と『商談』するので、どう対処したらよいか、というものだった。それに対する、らも氏の答えは、「それは高い。あまりにも高すぎる。二ふさで五百円ならまだわかるが一ふさでは高すぎる。娘さんはお金の価値を知らないか、お金というものをナメきっているのではないか」というものだったそうである。この「一ふさ発言」に対する抗議文の続きは次の通りである。「神聖なる家族の絆。その至誠なる親子関係の中で、金子を以て、愛娘の器官を玩弄するとは何事であるか。たとえ冗句であるにせよ、たわけた投書をとりあげ、『高い』などと応ずるとは何事であるか。すべての物事には王道というものが存在する。」らも氏は、これはえらいことになったな、と思いながら二枚目の便箋に移ったそうである。そこには次のような文章があった。「この場合の王道は『いいじゃないか減るもんじゃなし』でなくてはならない。金子の問題ではないのである。何事につけてもタダがよい。頼むからいかんのである。サッとさわっちゃって、『いいじゃないか、減るもんじゃなし』と使ってもよいな」と。らも氏はうしろにひっくり返って笑ったそうである。らも氏は読者から完全におちょくられたわけであるが、読者とらも氏との勝負、読者の技あり一本、といったところか。この悩み相談は、「明るい悩み相談室」の第2巻に、「夫と娘のおそろしい商談」という題で掲載されており、相談者は、神戸市・ただなのにさわってもらえない妻・36歳とある。

 「明るい悩み相談室」の相談が、すべて明るくふざけているというわけではない。「明るい悩み相談室」の第5巻には、次のような相談がある。「ある日、ふろから上がってみると、夕食用のうなぎ一皿分が、近所の猫にやられています。主人の分です。帰ってきた主人は、息子が横でウナギを食べているのを見ながら、サラダと塩辛でビールを飲み、さりげなく言いました。『同じ皿なのに、猫はなぜ“ワシの”だとわかったんやろか』。とっさの折りに、私には、主人よりも息子という母性本能が働いてしまったようです。今後こういうときにうまく『本音』をかくせるでしょうか。」この相談内容は我々亭主族から見るとかなり深刻なものである。これに対する、らも氏の回答に興味のある方は、第5巻をお読み下さい。第1巻には、もっと深刻な相談がある。「先日、知り合いのお葬式に参列しましたときのこと。あふれる涙をぐっとこらえておりましたのに、和尚様の読経が始まるや、そのしぐさにおかしさがウツ ウツ ウツ とこみ上げてきて、悲しみはどこへやら。母の法事のときもそうでした。悲しいことを思い出してみたり、自分の体を思い切りつねってみたところで、だめなのです。主人は長男ですので、これからも何度も法事があります。それに応じて私の来世は地獄行き間違いなしです。」確かに、このような真面目な儀式の際に急におかしくなり苦労することは少なくない。つい最近、わたしも儀式とは関係ないが、笑いをこらえようとして苦労した。わたしは、毎月、歯の検査のために歯科へ通っている。若い女性の歯科衛生士の人が磨き残しがないか検査をし、歯垢をとったりしてくれるのだが、その女性のおなかがグーと鳴った。なんだか急におかしくなったが、笑っては妙齢の女性に失礼だと思い、顔をしかめたところ、どこか痛みますか、と言われてしまった。ロースクールの事務のMさんから、前回の駄文について、「電車で先生が笑いを耐える姿を想像すると面白かったです。ちなみにわたしは下唇を思いっきり噛むことにしています。」とのメールをもらった。わたしもそうしたいところだったが、歯の検査を受けながら下唇を噛むのは無理である。わたしはどうすればよかったのでしょうか。つまらない悩み相談でごめんなさい、ではまた。

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